18世紀後半には忘れ去られていたバロック音楽を、19世紀に再評価したのがフェリックス・メンデルスゾーンなことはよく知られている。彼がバッハのマタイ受難曲を1829年に復活上演。現在に繋がるバロック音楽の隆盛はここに始まる。当時は、バッハの音楽を19世紀の楽器で演奏する時代だった。近年メンデルスゾーン版のマタイ受難曲の録音があり、非常に興味深いが、この時代は「バロック音楽をバロック音楽が作曲されていた時代の楽器を用いて演奏する」という考え方そのものが存在しなかったと考えていいだろう。

古楽器によるバロック音楽演奏の源流はいくつかあるが、1894年に作曲家ヴァンサン・ダンディ達によって設立されたパリ・スコラ・カントルムが最も大きい。退廃した当時のパリ音楽院に対抗してつくられたこの私立音楽学校は、グレゴリオ聖歌等の宗教音楽を中心にして始まり、古楽の研究・演奏も行われた。ここに1900年から1913年までポーランド人ピアニスト、ワンダ・ランドフスカが教師して着任する。彼女は、チェンバロという忘れ去られていた楽器を復活させた人物としてよく知られている。当時のチェンバロはバロック期のものとは大きく異なり、モダン・チェンバロと呼ばれ、昨今バロック演奏には使用されることはない。しかし、「バロック音楽を再現するのにピアノではなくチェンバロが重要である」という今なら普通の話を本格的に始めた最初の人と考えてよい。

音楽教師として各国で教鞭をとり、多数の演奏会をこなしてチェンバロの魅力を伝えた彼女だが、その功績として忘れてはいけないのは、ポール・ザッハーに影響を与え、スイス、バーゼルのスコラ・カントルムが設立されるきっかけをつくったことだ。億万長者であり、作曲家兼指揮者だったポール・ザッハーは、ストラヴィンスキー、バルトークをはじめとする現代音楽への委嘱と演奏で知られている。彼は、ワンダ・ランドフスカをスイスに招き、その影響を大きく受けて1933年にバーゼルのスコラ・カントルムを設立した。因みに、パリのスコラ・カントルムの方は1931年のヴァンサン・ダンディの死後、方針が変わり、教師や学生が大量に脱退。現在も私立の音楽学校として残っているが、古楽の拠点としての役割はこの時に終了している。

ポール・ザッハーによってつくられたバーゼル・スコラ・カントルムは3人の共同設立者がおり、実際彼らが教師であった。ヴァイオリニストのIna Lohr (1903-1983)、ヴィオラダガンバ奏者のAugust Wenzinger (1905-1996)、声楽のMax Meili(1899- 1970)である。ここで注目すべきはアウグスト・ヴェンツィンガーAugust Wenzingerであろう。彼は元々チェロの奏者だったが、1920年代に古楽器を復元し、特にヴィオラ・ダ・ガンバを復元演奏して世に広めた最初の人物である。彼はフルート奏者のグスタフ・シュックと共に古楽器の合奏団を1930年に設立し、その1930年代の録音はYOU TUBEで聞くことができる。

アウグスト・ヴェンツィンガーは1950年から1953年にかけてブランデンブルグ協奏曲を指揮し、アルヒーフに録音を残している。これが古楽器による本格的な商業録音の最初である。演奏はバーゼル・スコラ・カントルム合奏団。下記のデータをネット上で見つけることができる(https://www.discogs.com/参照)。

Johann Sebastian Bach, Schola Cantorum Basiliensis, August Wenzinger

‎– 6 Brandenburgische Konzerte (Six Concerts Avec Plusieurs Instruments)

A1 recorded in Zürich, Großer Tonhallensaal, 5./6. January 1953

A2, B1 & C2 recorded in Basel, Blauer Saal Vom Justiz-Department, 13. July 1952

B2 recorded in Freiburg i. Br., Paulus-Saal, 15. January 1950

C1 recorded in Zürich, Großer Tonhallensaal, 4. January 1953

D1 to D3 recorded in Basel, Großes Studio, 14. April 1951

この録音の奏者に、オーボエのヘルムート・ヴィンシャーマン、鍵盤のエドワルト・ミュラーの名前がある。ヘルムート・ヴィンシャーマンは20世紀中盤のあらゆるバロックの録音に参加し、自らの合奏団ドイツ・バッハ・ゾリステンを1960年に設立している。エドワルト・ミュラーはバーゼル・スコラ・カントルムの教師であり、その弟子の一人がグルタフ・レオンハルトである。

アウグスト・ヴェンツィンガーは1954年にドイツのケルンにカペラ・コロニエンシス Cappella Coloniensisを設立。彼の録音はこちらに移り、バーゼル・スコラ・カントルム合奏団としての録音は見かけなくなる。


さて、バーゼル・スコラ・カントルムは1954年までポール・ザッハーの屋敷内にある私的な学校であったが、バーゼルの音楽学校の傘下に入り、公立の学校となっていく(ポール・ザッハー自身は1969年まで校長)。1970年代に入るまで、古楽の学校は世界でもここだけだった。この学校の重要な卒業生が次の2名である。

グスタフ・レオンハルト(1928 - 2012)は1947年から1950年までここの学生だった。1950年代にフーガの技法の録音や、独自のレオンハルト・バロック・アンサンブル Leonhardt-Consortで活動。そこにニコラス・アーノンクールもいたようだ。これらの活動が後の ラ・プティット・バンドにつながっていく。彼の活動からクイケン兄弟、ブリュッヘン、アンナー・ビルスマ、フィリップ・ヘレヴェッヘ、ルネ・ヤーコブス、クリストファー・ホグウッド、トン・コープマン、ピエール・アンタイらが出ている。古楽器の鍵盤奏者には彼の弟子筋が非常に多い。

もう一人は1941年スペイン産まれのジョルディ・サバール。彼はバルセロナとパリで音楽を学んだ後、バーゼル・スコラ・カントルムの学生となり、アウグスト・ヴェンツィンガーの弟子となる。その後同校のヴィオラダガンバの教師となって、師アウグスト・ヴェンツィンガーの後継となる。自分の合奏団コンセール・デ・ナシオンを組織し、膨大な録音を残している。

この2人から直接間接に影響を受けてない古楽器奏者を探すのは難しいぐらいだ。


そして、バーゼル・スコラ・カントルムの教師として活躍し、後進を育てた重要な人物として下記の人物がいる。

ハンス=マルティン・リンデはドイツ出身のフルート&リコーダー奏者。グスタフ・シュックの弟子であり、1957年からバーゼル・スコラ・カントルムの教師。1972年にはバーゼル・スコラ・カントルムの同僚たちとリンデ・コンソートを結成している。1976年から1979年までスコラ・カントルムを傘下に持つバーゼル音楽院の院長。初期にはルドルフ・バウムガルトナーやカール・リヒターとの録音に参加し、リンデ・コンソートやケルンのカペラ・コロニエンシスとの録音も多数ある。

オランダ出身のヴァイオリニスト、ヤープ・シュレーダーは、ブリュッヘン、レオンハルト、アンナ・ビルスマと共演し、1973年からバーゼル・スコラ・カントルムの教師となった。彼はその後クリストファー・ホグウッドのエンシェント室内管弦楽団のディレクター兼コンサートマスターと務めた。

ベルギー出身のカウンター・テナー&指揮者ルネ・ヤーコブスは、アルフレッド・デラー、グスタフ・レオンハルトやクイケン達に薫陶を受け、フライブルグ・バロック・オーケストラやベルリン古楽アカデミーと多数の録音を残している。彼もバーゼル・スコラ・カントルムの教師だった。

スイス出身のヴァイオリニスト、キアラ・バンキーニは、アーノンクールやクイケン達と共演をしたのち、1981年に自らのアンサンブル415を立ち上げている。1991年から20年に渡ってバーゼル・スコラ・カントルムの教師をしており、アマンディン・ベイエはその門下生。

イタリアのアンドレア・マルコンも1983年から1987年までここの学生だった。今はバーゼル・スコラ・カントルムの教師となっている。ヴェネツィア・バロック・オーケストラを1997年に設立。ジュリアーノ・カルミニョーラとのヴィヴァルディの録音で知られる。


ここまではパリとバーゼルのスコラ・カントルムを軸に話をしてきた。しかし、おそらく世界最古の古楽器演奏団体はイギリスであろう。フランス出身のアーノルド・ドルメッチがイギリスで古楽器を再現。1925年には演奏している記録があるからだ。このイギリスの流れは別途まとめてある。


1960年代に入り、「古楽器の真の姿とは何か」、楽器そのものの見直しが進む。モダンチェンバロではないチェンバロが本格的に登場し、大きな影響を与えた。ヴァイオリン等の弦楽器だけでなく、管楽器も見直しが進んだ。さらに、レオンハルトとアーノンクールの2人を中心に、楽器の見直しだけでなく、古楽器による演奏方法の探求が進んでいく。当時の主流であった、19世紀からのヴィルトオーゾ達の演奏方法とは異なったアプローチが研究されていった。

アーノンクールは既に1950年代にウィーン・コンツェントゥ・ムジクスを設立していたが、1962年、コレギウム・アウレウム合奏団がフランツヨーゼフ・マイヤーを中心にフライブルグに設立。あとに他の団体の中心となる人物が共演していた。レオンハルトやクイケン兄弟、ビルスマ、ラインハルト・ゲーベル(フランツヨーゼフ・マイヤーの弟子)もここで活動している。1967年にはロンドン古楽コンソートがリコーダー奏者のデイヴィッド・マンロウ達によって設立。ここにはクリストファー・ホグウッドやサイモン・スタンデイジ達がおり、後にロンドンで隆盛した古楽器演奏の先駆といえよう。


1970年代、オランダのハーグやアムステルダムの音楽院が古楽演奏に注力するようになり、ここでクイケン達が教師となって後進を育てた。1970年代は古楽団体の設立ラッシュであった。こうして古楽器演奏が徐々に市民権を得ていく。下記に1970年代設立の団体をあげる。


ベルギー、

クイケン&レオンハルトによるラ・プティット・バンド(1972年)


オランダ

トン・コープマンによるアムステルダム・バロック管弦楽団 (1979年)


ドイツ

ラインハルト・ゲーベルによるムジカ・アンティクヮ・ケルン(1973年)


スイス

ハンス=マルティン・リンデによるリンデ・コンソール(1972年)


フランス

ウィリアム・クリスティによるレザール・フロリサン(1979年)


スウェーデン

ドロットニングホルム・バロック・アンサンブル(1971年)


イギリスだけで重要な4団体が設立されている。

クリストファー・ホグウッドによるエンシェント室内管弦楽団 (1973年)

トレヴァー・ピノックによるイングリッシュ・コンサート (1973年)

ジョン・エリオット・ガーディナーによるイングリッシュ・バロック・ソロイスツ(1978年)

ロジャー・ノリントンによるロンドン・クラシカル・プレイヤーズ (1978年)


カナダ

ジャンヌ・ラモン達のターフェルムジーク・バロック管弦楽団(1979年)


この後1980年代に入って、古楽器演奏がクラシック音楽の世界に大きな位置を占めるようになっていく。

このHPでは各国の古楽器の団体を取り上げて整理していく。最近は古楽器演奏団体も多いが、個人的に重要と思う団体のまとめである。


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